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執筆者の写真NOBUSE NOBUYO

森、道、世界



あれはカネコアヤノだ。あまりよく知らないが、別にいい。彼女の歌声は力強い。あれはCharaだ。昔からずっと知っていたような知らない曲。忘れてしまっただけなんだと思う。GRASS STAGEの芝生にぼんやり立って、草が生える音をしみじみと聞いている。いつからここにいるのだろう、思い出は湧き立つそばから瞳ににじんで消えていく。わたしはここでいい、と思ってから風の中に綿毛が浮いている。ステージの照明にきつく照らされて、綿毛がほんのり光って消えたりする。どちらかといえば、あっちが私だったような気もする。手首に浮いてくる薄緑色の芽がくすぐったい。


風が吹いている。イントロがさざなみのようにやってきて、わたしとわたしたちの細胞の海が揺れる。突然、皮膚で呼吸する方を選ばなかった時のことを思い出したりして。別にカエルでもよかったんだけどな、と思いながらぴょんぴょん跳ねてみる。なんとも言えない懐かしさが全身を駆け巡り、今からだって遅くはないなと思った。忘れてしまっただけで、なかったことにはならないのだ。


歩いても歩いても、森、道、世界が続いている。

屋台、海風、観覧車、波音、屋台、海風、ステージ、浜辺、屋台、海風、観覧車、海風、歌、叫び、歌、酒、群れ、浜辺、揺れる、さざなみ、見えない、星。呼吸する度に夜が繰り返し繰り返し飛び立ってまた後ろから戻ってくる。これは私の庭先だったっけ。つっかけ履いて飛び出してきたのだったっけ。波打つビールに大きな口元が近づいて決壊する。


引き延ばされた真っ青な夜を誰かがホチキスで繋げたらしい。継ぎ目に透ける虹色のぬらぬらに落ちないように、にんげんはニューロン同士を結び合う。かわいい綿毛に見せかけて、タナトスほとばしる細胞を爪先から頭まで飛ばしまくっている。えげつない夜の帯。


たぶん千年くらいは経ったのじゃないか。

わたしとうとうぼけたと思う。触ったところでちっとも近づいた気はしなくて、やっぱりあっちが本物だと思う。海岸線に立ち並ぶヤシのシルエット。どこにでもあるけれどどこにもないグラフィティなあの南国には辿り着けないままでいい。ひんやりする木肌に背を預けて、どこまでも続いていくヤシの木立その一本一本にわたしがいて、一斉に目を開けては閉じるのを眺めている。


歩いても歩いても、森、道、世界が続いている。

心だけは果てしなく自由なのだとわかった日が確かにはっきりとあって、その日から風は笑わなくなった。ただじっと遠くの方を向いてどこへ行ってきたのか教えてくれもしない。まだ笑っていたころの風ってこんな感じだったのかなと浜辺で大の字になって眠る。歩いても歩かなくても、この世界は終わらない。昨日がなければ明日も来ないのと同じように。


懐かしいのは、全部忘れてしまったから。

終わらないのは、わたしがわたしたちじゃないから。

忘れてしまったのは誰のせいでもない。

歩いても歩いても、森、道、世界はまだ明けない。



(2024年5月24日、26日 「森、道、市場」の記憶から。私がこの日全身で見て、聞いて、味わい、触れた、時間はとても説明できるものではなかったから、日記を書いたつもりでも詩のようなものになりました。)

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